試行錯誤

いろいろ試して、その結果を振り返ります

ビンラディンが死んでもタリバンが残っていることについて考える

「けれども、政権が崩壊しても、ビンラディンが死んでも、タリバンは生き残りました」

http://special.nikkeibp.co.jp/as/201307/dhaka/pakistan_vol4/


このことを、正しくわかっていない国家が多すぎる。

自分の常識を外れた出来事を、異常と名付け 例外として捉え、排除して安心しているうちは、「例外」は繰り返される


根本に何があるか考えようとしていない。(直視したら罪悪感に勝てないから避けてるんだろうな)

貧しい、というのは相対的な感覚だと思う。だから、いま、イスラム国が、(社会的な制裁を受けて少し弱ってきたけれど)もし滅亡したら、今度は例えばタリバンが出てくるのだろう。


自分よりも豊かな(豊かに見える)ところが、自分の切実に貧しい実情を知らずに、少しの利得のために権利を主張していたら、
とっても、とっても悲しくて悔しいと思う。
自分が高熱で泣きそうなときに、旦那さんが「なんか花粉かも」って「調子わるいし、早くメシ作ってくんねえ?」とか言ったら「えっ!わたしのことは、どうでもいいの?」って思うでしょう



わたしは、そういう心の感度の低いひとたちが決定権を持つ国の一員であることがもどかしい。 そういうひとを家長に選んでしまったことも。でも、離婚を申し立てて再婚することはできる。

(でも、心の感度が高くても、本当に、まっったく、仕事ができないひとが家長だったら野垂れ死んでしまう。
ただ、暮らしていけるだけのお金があれば、あとは罪悪感を抱かずに笑顔で過ごせる、ご近所付き合いができる家庭がいいです。)