想像が及ぶ範囲を拡げるには、事前に丁寧に考えることと、「その場・その時」に立ち会って自分の感覚の精度を確かめること、両方が必要なのです
自分の常識の外の出来事を、(正しいか過ちかは別として)異常という一言で片付けたくない。
自分の思考に無責任でありたくない
想像力のないところに責任は生じない。
in dreams begin the responsibilities
できるときに縁遠いものに触れておきたい
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フランスの銃撃事件の犯人の態度に、池澤夏樹さんの本で読んだ、スー族の迫害を思い出しました。本当に追い詰められたときに、それまで逃げて隠れていた彼らは目立つ白い布を纏って全員が殺されるまで笑顔で踊り続けた。
"共同体そのものの存続があやしくなったときの、構成者である個人の振る舞い"。存続できなかった集団(=歴史的敗者)の記録は ほとんど残されていないから、わたしたちの常識(と思われているところ)から逸脱するのだと思う
追い詰められていることへの認識が余りに不足していると、繰り返されてしまうと思う。誰のせいでもない、という言葉は全員の想像力の不足を表している。