試行錯誤

いろいろ試して、その結果を振り返ります

ラクをするのは罪ではないけれど、考える必要はある

当事者にならないと、どうしても感度が下がる。お金や労力がかからないことは罪ではないけれど、自分の身にはつかないね

ひとの好意に甘えることも罪ではないけれど、自分のタメにはならない。(それが自分の今後に必要ないなら甘えたらいい)



ルールに従って決められた動作をこなすことも、とてもラク。動作が単純であればあるほど。


わたしは洗濯物を取り込むのが苦手でした。
寒い夜に窓を開けて冷気と共に洗濯物を取り込み、きちんと畳んできちんと仕舞う、という工程を思うと気が遠くなって、カーテンを閉めて翌朝まで見て見ぬフリをすることも(複数回)

(心の奥ではやらなきゃ、やらなきゃと一時間おきに頭に浮かび、気力が待機電力のようにダラダラと消費される)


でも、工程を細分化して、工程ごとに定位置(取り込んだものの一時置き場とか畳んだものの一時置き場)を用意して、ルールを作ったらアッサリ解決しました

ルール1
帰宅したら(上着を着たまま)窓を開けてとにかく取り込む
ルール2
iPhoneをチェックをするたびに一種類(トップス/タオル/靴下、とか)畳む OR 引き出しに仕舞う

どこでやめても生活の邪魔にならず、再度とりかかるのに準備が要らなくて、1つこなすのに1分しかかからない。

やるかやるまいか迷う必要すらないくらい、一工程の負担を小さくすることが大事。些細なことでも決められたことが完成するのは嬉しい。

ルールは生産性を高める。マニュアルの意義もそこにある。でも、だからこそルール自体は自分が作るか、100%に近い納得を伴っていたい。

つまり、頭のゆるい連中によって細分化された会社の方針とか、国の政策の工程を無意識に担いたくない


自覚の下で物事をラクに処理することは罪ではないけれど、
考えることを放棄してラクな方に流れていると、知らぬ間に悪の片棒を担いでいるかもしれない