今のオマエを切り取るために言い切ることは言い切って
心の悪魔を逃す 早く元の自分に戻るんだ (モザイク / Qomolangma Tomato)
インドに、想像以上の幸せがたくさんあったのは事実だけれど
飲み込めない現状も倍くらいあった。
たとえば、
一本道を隔てただけで、着ている服が、靴が、衛生環境がまったく違うこと
ゴミを捨てるひとたちと、ゴミの中から使えるものを探すひとたちと、ゴミの中で暮らすひとたちが、とても近くに、けれど確実に分かれて暮らしていること
後者の環境であっても健全な精神を滲ませている子どもや若者たち
あるいは、
学のあるひと(きっと相当の努力と対価を支払って得たからこそと思うけれど)による、勉強をせずに育ったひとたちへの侮蔑的な発言( と同属嫌悪だという気付き)
日本よりもずっと美しくて整っているメトロの駅、その出入り口にたむろするオートリクシャーのドライバーたち。その駅につながる道路が悪路であること
英語のレベルがそこまで高くないひとたちの日本語「ミルダケ ミルダケ」「トッテモ ヤスイヨ」。挨拶以外に彼らが覚えている日本語はお金に関する言葉だけであること。
(自分が日本で覚えておいたヒンディー語は、挨拶と2種類のお礼の言葉とゴハンへの感想だった)
悔しいことや飲み込めないことは、それを自分から切り離すために言葉のかたちで言い切って、はやく元の自分に戻る。
こじらせて、自分を濁らせる前に自分から切り取る。
ギリギリ嚥下できそうなことを心に留めて、知識と実感に変えることは重要。
それが、すぐにはできそうにないことは、事実とソリッドな感覚を切り取っておく。
なるべく澄んだ心で知識と思考を成熟させて、強くなってから見返す。それで、もう一度咀嚼して、そのときは消化してみせる