試行錯誤

いろいろ試して、その結果を振り返ります

本を読みたいとき / ワーキングメモリの容量

新生活も落ち着いて、人との関係もとても上向きで穏やかで、悩みや決めるべきことが落ち着いてきたから、頭の作業台に空きがあるのかもしれない


継続的に何かを考えるとき、ワーキングメモリ(作業記憶)に思考の材料が置いてある。作業台に乗せてあるからすぐに取りかかれる

わたしは自分の頭で考えたい。考えた末にできた結論はプロセスとともに記録に(頭の外に)残しておく


ワーキングメモリを無駄遣いしたくないなと思う。常に出しておく必要のないものは整理してしまっておきたい

(一年の目標とか決断しなきゃいけないことは、目につくように手帳の中表紙に書くけど、重要度の低いモノがそういう一等地にあると煩い )


記録はEvernoteをゆるい感覚で使っている
(外出先で見たくなる予感のあるノートを写メしたり、一目惚れしたモノのお店と値段を記録したり、家電を買ったら型番と保証期限入れたり)


悩みとか不安とか、結論が出ないままに溜まると、頭の一等地の容量がいっぱいになる。他の考えが広がらなくなる/深まらなくなる


振り返ると、本を読みたい時期って、何かが解決したタイミングで来ているかもしれない


自分の性格に合うシンプルなルールを持つこと


ひとの生活でエネルギーを多く使うことの一つは「決断する」という行為だと思う
ルールや判断基準があれば、決めることはとても容易くなる。


わたしの買い物のルール
大切なものを買うとき:迷ったら高い方
買うかどうかを迷ったとき:買わない


理由
安いものと高いもので迷うとき、安い方の良さには価格の低さが入っている。高い方のコストパフォーマンスがあまりに悪かったらそもそも迷わない

買うか迷うということは、要らない可能性があるということ。必要だと自信を持ったときに買った方が愛せる



に必要になったらどうするの??という感覚が強いひとは、それがそのひとの価値観で、感覚に合うルールを確立させたらいいと思う

最終的に満足できる結果を出すために、公約数があるならば、それを自覚しておくとスムーズに後悔のない選択ができる。

それを繰り返していくと、判断の精度も上がり、センスや勘がよくなっていくのではないかしら。


学びの基本は覚えることだとおもう

「ネットで調べれば出てくる。覚えることに意味ない」って言うひとに限って検索が下手なことが多いとおもう

ある程度その領域の基本的なことを抑えていると、正しい情報をスムーズに集めることができる
覚えていないと、自分の頭の中で、物事を考えることができない


と思いつつ、わたしはうろ覚えなことが多い。検索し直す手間がかかる。基礎に関しては正しく覚えることを重視したいと思う


人間だものって深い言葉 / 正しい期待を知る


わたしは安倍さんはいいひとなんじゃないかと思っている。ただ、安倍さんが任期を終えた後に悪用される可能性はとてもこわい

(いま世界は不安定で、欧米もアジアも、どこも余裕がなくなったから、甘ったれな日本のままではこれからは何も聞き入れてもらえなくなる)


安倍さんが悪用すると思って安倍さんを批判するひとがたくさんいる、誰がとか関係なく、悪用できない形に直すことが大切なのではないかしらね

そうすれば安倍さんも気持ちよく代案を探せるような気がする。真っ向から否定をされたらゼロか100か二択になる。


政治家も学校の先生もお医者さんも不動産仲介のお姉さんもデパートの店員さんもホテルのスタッフさんもタクシーのおじさんも、みんな職業人の前に人間で、常に一定の判断を下す機械ではない。(このお客さん態度ひどいなあ・と思ったら義務よりプラスのサービスはしない)
のに、そうであるべきと無意識に決め付けているから苦しくなる



すきなひとたちから 期待されたいけど、決めつけられたくない
他人に対しても 相手のための期待はポジティブに働くことも多いけど、「こうして欲しい!」と求めるのはエゴで よくない



自分への期待と他人への期待を定期的に更新する。最新の正しい期待ってたいせつ


自戒をこめて

A5サイズのノート / 何かを学ぶ・取り入れる方法

最近、営業職として配属されました

何であっても、新しいことが始まるというのはとてもときめく
何かが無くなる・終わるということは、その分のスペース(空容量)が生まれるということ

それを無駄に使いたくない。余地がある分、惰性で何かが入り込んできやすい

わたしはA5のノートがすきです。会社ではPCのソフト、iPadiPhoneのアプリを使って日報や情報共有をする必要があります。でも大切なこと・消化して自分のものにすべきものは一度紙にペンで書きたい

二次元に手書きで情報を載せると、自分のいままでの知識や経験が結びつこうとする
有機結合に似ている
媒体としての見開きA4の紙・黒と青ボールペン


わたしは停滞したくない、常に変わっていきたい。自分の中に何かを蓄積させたくない。何かを取り入れるときには、自分のフィルターを通して形を変えて、自分の一部にしたい

形を変えるためには、自分の身体を使ったアナログな方法がわたしにとってはいちばん効率的なようです

定年まで彼が上を目指し続けるとして / 性質と役割とそれぞれの成熟

22〜25歳で入社して60歳まで、35年間働くとして、彼がどのポジションまで登れるか
現在、目指している/いないを別として、性質として多かれ少なかれフィックスしている、と思う


村長と、村人Aと、村人B/C/D…は、それぞれの役割の中でのレベルアップは努力によってできる
ただ、役割を越えることができるかは、性質によるところも大きい


熱意と ある種の愛を持って自身がコミットしながら周りの人間を巻き込んでいけるひとは村人の中で信頼された状態で協働的リーダーになれる

言葉や行動に大きな影響力を携えてドンと構えて、周りに影響されずに継続的に成果を出せるひとは大きな裁量を与えられて指示者として信頼される

実施者としてのリーダーと、計画立案をするリーダーは、結構、違う



そういうふうに、同期を見る。好き嫌いではなく、他人を知るひとつの方法として
この人が頑張ったら、どういうところで活躍するかしら、どういう人たちの応援をもらえるかしら



自分はどう見えているか
自分の性質を活かしてレベルアップする、あるいは、枠を越えるには、どういうタイミングで成果を出し、どういう人たちと、どう関わっていくか。見えてくるものがある



村長=計画立案・マネジメント
村人A=計画実施責任者
村人B/C/D…=実施者

計画を実現させるためには全員必要

原因療法と対症療法 / 本質と現象


本質と現象の関係は、原因療法と対症療法に似ている。


原因療法
病気そのものの真の原因となっているものを治したり取り除くことなど直接働きかけることで治す

対症療法
病気そのものの原因を取り除くのではなく、病気がもたらす症状や苦痛を軽減することを目的とする治療法

(あと補充療法・予防療法がある)


感染症になったときに、細菌を殺すの(抗生物質)は原因療法。

花粉症のときにくしゃみを止める(抗ヒスタミン薬)のは対症療法。(ヒスタミンを受け取る部分にフタがされるからくしゃみは出ないけど、ヒスタミンは出てるし、抗原をやっつけてるわけではない)

ガンで言ったら摘出は原因療法、モルヒネは対症療法


原因療法は一部を治すために身体全体に不要な負担をかけることも多いし、対症療法も柔軟に使っていくべきだけど、バランスは見極めなくてはならない。

身体全体に回って手遅れになる前に根絶させなきゃいけないやつもあるし、ちょっと我慢すれば自分自身の免疫でなんとかなるやつもある(なるべくその方がいい)。


なにか問題が起こっているときに、本質にアプローチするか、現象にアプローチするか、と似ていると思う。


憲法改正というのは国の方向性の問題について、本質へのアプローチだから、ハイリスクハイリターンだし、全体への影響が生まれる。
でも、対症療法で凌ごうとして 法律が増えすぎている、し、凌げたことに調子に乗って 国外への責任を拡げすぎているからこそ、その決断の影響は大きくなっている。


予後不良になる確率が上がっている。


過去のことはもう仕方ないから成人を業界のバランスとりながら10%ずつに分けて、毎月10%ずつ仕事休ませて、国の現状について勉強してテストさせて(点によって下限10万上限40万とか渡す制度にでもして)、それで来年の5月3日にでも直接民主制で改正すればいいと思う