好きに理由は要らないけど、理由も見つかったら 実感できて嬉しい / 倉木麻衣・アジカン
倉木麻衣のalways
コナンのEDかつ、映画:天国へのカウントダウン の主題歌でした。(映画はツインタワーのやつ。灰原哀ちゃんファンとしてはたまらない)
小学生の頃は歌詞カードをガン無視するコドモだったので(今は取扱説明書も個人情報扱いについての同意書も、ちゃんと、ザッと目を通すオトナ)
always give my love to you を
O・S・E ・my love to you と自信満々に口ずさんでました。OSE。なんの略だと思っていたのだろう。わたしのディクテーションスキルの低さが垣間見える
すきなフレーズの話でした
失敗は成功の元、という
いろんな素敵なひとが言い続けてるシンプルなメッセージなのだけど、倉木麻衣の言い回しは分かりやすくてあったかくてスッと入るなと思いました
ミステイク バット フォー ア リーズン
使う単語がwinとかloseとか、
ちょっと勝ち気なのも可愛い
同じメッセージで好きなのは、アジカンのワールド ワールド。
前半は、意味を持たない言葉の羅列に聞こえる
自尊心 は 縫う 結わう 誇らしいですという時計 メディシン わん公 風雨は 素晴らしい ジャスト 温度計
けれど
ラストを聴いたら感動する
意味ないようで確かにある
見たこともないような ワールド ワールド ワールド
everything must lead to a new world
もうゴッチさんたら、どれだけ懐が大きいの!!!たまらない!!!!
初めて聴いたときに筆箱に油性ペンでeverything〜 と走り書いたのを覚えています
ぜんぶ、ぜんぶ、受け止める側の問題なのだ、と、無駄なことなんて何一つ無いんだと、すごく安心をした
高校2年の頃、いちばん好きだった歌です
なんとなく好き!って、一目惚れみたいに音楽に恋するのも好きだけど、
自分の好きな歌について、
- 考え方(メッセージ)
- 喩え方(言い回し)
- 伝え方(曲調や編曲)
どれがどうだから、自分はこの歌好きなんだなあ、と感じられると、なんだか二度美味しい。嬉しい
(好きという感情に理由は要らない というけれど、理由に気付けたら+αでもっと、嬉しくて愛しく思える。
理由の和 < 好きという感情
と思うけれど 好きという感情と理由は独立していないと思う)
インド旅行3 / 憐れむつもりは全くない
少し語弊があったかなと思いました。わたしはインドに住むひとたちのことを憐れんではいない
無自覚に他人を憐れんだり、見下すことは罪だと思う。見下された人間(動物)には正の強化の機会が与えられず、見下されるに見合う自発行動を取るようになる。
(つまり、たとえば、少年犯罪を助長しているのはやんちゃなヤンキーたちを見下しているやつらだし
頭の堅い重役をより頑固にさせているのは、それをバカにする若者だったりする。
とりあえず、みんなの衣食住が満たされていれば、誰かを見下す必要なんてなくて、そういう不幸は起こりにくいと思うけれどね。)
わたしは、すきなひとたちが苦境にいるときには「大変そうだな」とは思うけど、憐れんだり見下したりしないように注意している。復活して欲しいもの。
許すことと、憐れむことは、とっても似ている。優しく見えて、とてもひどい罰だ。
わたしはインドのひとたちのこと、すきだから、笑顔で正面から向き合って前向きな提案ができるまで、やはり切り離しておきたい。かわいそう だなんて呪いはかけたくない
インド旅行2 / 心に抱えきれない経験について
今のオマエを切り取るために言い切ることは言い切って
心の悪魔を逃す 早く元の自分に戻るんだ (モザイク / Qomolangma Tomato)
インドに、想像以上の幸せがたくさんあったのは事実だけれど
飲み込めない現状も倍くらいあった。
たとえば、
一本道を隔てただけで、着ている服が、靴が、衛生環境がまったく違うこと
ゴミを捨てるひとたちと、ゴミの中から使えるものを探すひとたちと、ゴミの中で暮らすひとたちが、とても近くに、けれど確実に分かれて暮らしていること
後者の環境であっても健全な精神を滲ませている子どもや若者たち
あるいは、
学のあるひと(きっと相当の努力と対価を支払って得たからこそと思うけれど)による、勉強をせずに育ったひとたちへの侮蔑的な発言( と同属嫌悪だという気付き)
日本よりもずっと美しくて整っているメトロの駅、その出入り口にたむろするオートリクシャーのドライバーたち。その駅につながる道路が悪路であること
英語のレベルがそこまで高くないひとたちの日本語「ミルダケ ミルダケ」「トッテモ ヤスイヨ」。挨拶以外に彼らが覚えている日本語はお金に関する言葉だけであること。
(自分が日本で覚えておいたヒンディー語は、挨拶と2種類のお礼の言葉とゴハンへの感想だった)
悔しいことや飲み込めないことは、それを自分から切り離すために言葉のかたちで言い切って、はやく元の自分に戻る。
こじらせて、自分を濁らせる前に自分から切り取る。
ギリギリ嚥下できそうなことを心に留めて、知識と実感に変えることは重要。
それが、すぐにはできそうにないことは、事実とソリッドな感覚を切り取っておく。
なるべく澄んだ心で知識と思考を成熟させて、強くなってから見返す。それで、もう一度咀嚼して、そのときは消化してみせる
メルケル首相7年ぶりの来日について考える
政治に明るくないことは、結構コンプレックスで、もどかしく感じることが多い
(政治・歴史・天気はとても知りたいけど体系的にやるにはあまりに大きくて手を出せていない。でも、諦めずに 事あるごとに一話完結的な知識を取り入れる努力をしたいと思う。コナンだって一話完結の集まりなのに、何話も観れば蘭姉ちゃんと新一の関係が見えてくるもの)
けれど圧倒的多数の世論にはアッサリ従うらしい
彼女の政治哲学的にも結果論としても、即断することと、認めないことのバランスがとても取れている
物理学の出身、東ドイツとの関わり。
思い出すことが何かある気がする
ドイツは参考にするところも多いけれど、日本とはバックボーンがかなり違うのだから、あまり信仰するのはリスキーだ、ということを最後に言っていたのがとても良かった。視野が広いなあと思う
外交の動向をマクロで見て考えるのは、視野を広げる訓練になりそう
地球規模で雲の動きを見るのも、同じ意味でとてもおもしろい
追記
「ドイツ」なんて身近に感じるけれど、国のトップは7年間も来ていなかったのか。7年前って言ったら、わたし中学3年生だった。日本も世界も結構変わっている
安倍さんの年間スケジュールとか見てみたい。(結構バンバン外国行っているよね?忙しすぎて判断能力が弱っているのではないかと心配だ)
インド旅行1 / 安心して、体勢(態勢)を整えられる幸せ
2015/03/02〜03/09 インドを経験した
(タイヤのパンクを直している間、話しかけてくれたひと。ちびっこに黒飴をあげた)
記憶はナマモノで、すぐにかたちを変えてしまう
ことばにする過程で記憶や感覚が変わってしまうことはこわいけれど、鮮度の高いうちに、丁寧な気持ちで残るかたちに抽出しておきたい
インドの話です
やりたいことを大切な人たちに反対され、それを正面から受けた上で実現させることの責任の大きさを知りました
- 大切なひとに納得してもらうこと
- そのための準備(主にリスクを減らすこと)
この2つに注ぐ力の配分を常に考えること
- 旅行の準備(どれだけしても足りない)
- 旅行前にすべき その他のこと (たとえば、友人/ご近所さんと関わりながらやること、引越し準備、入社準備)
この2つを同時に最大限に進めるための時間と予定の管理
- 旅行の前から持っていた思考と知識
- 旅行の中で肌で感じた土地の習慣と直感
この2つのどちらを信じてどう行動するか
そういう難しくて大切な選択がたくさん重なった結果としての、素敵で豊かな旅行でした
そういう判断をするとき、常に安心していられた。100%に近いコンディションを保たせてくれるひとと一緒に大きな経験ができて、とても幸せ
とても素敵な方法で自己責任ということばを使うひとです。(自分がそのひとの"自己"の一部になれることが嬉しい)
命に関わる重大な間違いをしそうになったら絶対に止めてくれると信じられたから冒険できたし(生きていれば大丈夫というのが共通認識だから多少傷つくのはオーケー) 、自分の頭で考えることに集中できた
わたしは褒められるとすぐに喜んで張り切る人間だけど、褒めてくれる・認めてくれる・喜んでくれるのが誰であるかは、重要
彼に好かれる努力は、理想の自分に近付く努力と、とても似た形をとる。なんてしあわせなのだろうね
わたしの思考回路に、大きくて大切な装置が組み込まれました。(無尽蔵の電源も見つけた)
彼と関わっていると、いまのわたしに足りないもの(たとえば 数字と記号の正確さ、自力で可能なことについて安易に外注しないこと など)が浮き彫りになるし、それを前向きに認めて鍛えていける。
お手本はすぐそばにあるし、それによるメリットを知るから
わたしたちは、たくさんの選択肢を持ちたい。そして豊かな気持ちで正しく生産と消費をしたい。自分の世界が拡がる選択をしたい
実家(もうひとつの主要な電源のある場所)に帰ります
恋愛・交際についての成長 / ゴールデンレトリーバーになりたい
延々と考えていられるほどすきだったけれど、そのことを幸せに思って終わりにした。そう決めてから時間が経って、馴染んできた。
長い間、同じところで同じことを繰り返し思い出すことで、たくさん気付いて反省もした。待っていられない性質のわたしを、一定期間きちんと待たせた素敵なひとに感謝している。
言葉の定義とか悲しく思うことが違うのにすきになると、結構たいへん。
誰かと一緒であることは心強いけど、誰かに好かれるためだけに自分の感覚や目的地を歪めることはしたくないと思う。
お互いにとって幸せな距離と関係に落ち着けることが、とても嬉しい。
物事の上達のために / ツールを愛すること
脳について知るのは、おもしろい。
それは、脳が生体のミクロ分野の基礎だ(マクロを理解するためのツールとなる) からだと思う。(消化器系への関心は特別)。
自分の関心に役立つものには、ポジティブな感情を抱くのが自然だと思う。
負担に思わずに済む仕組みを作る必要はあるけれど、基本的に愛することができる。
ツールと目的の例
- 言語→ 縁遠い物事・人たちへの理解が速く進む
- 柔軟とストレッチ→ できる動きが増えてクライミングで落とせる課題の級が上がる(最近 上達中!)
目的と その所以の例
- コーヒーは美味しいからすき。
- ランニングは楽しいし気持ちいいからすき。
- ミースの建築は美しいからすき。
(ミースの建築で最もすきなレイクショア , 画像: http://www.archdaily.com/54260/mies-van-der-rohe-lake-shore-drive-restoration-kruek/ より)
いちばん高次にあるのは、いちばん単純な感情だと思う。
すき、愛してる、きもちいい、嬉しい。
そういうシンプルな感覚経験を増やすために、いろんな複雑なことをこなしている。
わたしが勉強をすると、わたしが見てる世界にアンテナが立つ。
ときめくことが増えるから勉強がすき。
今日、卒業が決まりました。(わーい)
シラバスと先生の名前が分かれば、自学部(概説を学んだ分野)の授業は2,3回の出席でも単位が取れた。
勉強自体が得意なのではなくて、勉強を負担にしない仕組み作り(具体的には細分化とルール化 参考: ラクをするのは罪ではないけれど、考える必要はある - Have less Do more Be more)がわりと得意なのだと思う。
そして基本的に心理学は好き。
(必ずしも狙った成績が取れるわけではないから「わりと」の程度だと自覚している。
あと、シラバス詐欺する先生の単位は取れない。自分の研究のことしか語らない講義なのに、○○学の基礎とか書いて恥ずかしくないのかしら。)
好きこそものの上手なれ、というのは、それの上達に必須なツールを含めて でないといけない。
それ(ツール)を好きでいるために、負担に思わずに済む仕組みを作る努力が要る。上達や実現にとって、同じくらい必要条件だと思う。
(中学の頃、クラブチームで頑張るサッカー少年が
「ぼくは、だいすきなサッカーを言い訳にしたくない」と、親や先生に認めてもらう手段として勉強を使っていた。
「勉強さえやってれば、サッカーを好きにやらせてもらえる。プロになれるか分からないのに続けさせてもらえる。だから勉強は嫌いじゃない」とも。
そのときは、ただただ「カッコいい」と思ったけれど、彼が物事を笑顔で実現させるひとだと無意識に分かっていたからかっこいいと感じたのだろうと思う。)
手段と目的を見誤らないことは大事。それと同じくらい、手段のことを軽視せず愛することも大事だと思う。
(冒頭の脳について おもしろい構造がある
ウィリスの動脈輪: 血管がどこか切れても、枝分かれして円環状になっているから、中枢である脳はしばらくは死なない。
わたしたちは簡単には壊れないようにできている。遺伝と進化の試行錯誤の結果、わたしたちは自然に淘汰されていないのだなと思う。人体はおもしろい。)